旭川の住宅会社・アーケン株式会社は「建築」「住宅会社」の目線や立場ではなく、顧客のライフスタイルを第一に、趣味、仕事、食、子育てなどを深く理解することを大切にしています。このブログでは、さまざまな形でご縁をいただいた、旭川圏で素敵な活動をされている方々を連載でご紹介しています。第3回は、家具の制作・修理を手がける「木と暮らしの工房」(東川町)代表の鳥羽山聡さんです。
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北海道らしいイメージがあり、豊富に自生し、余すところなく生かせる白樺。そんな身近な木をもっと生かそうという「白樺プロジェクト」が、旭川を中心に展開されています。家具職人や研究者、木こり、製材関係者ら思いのある人たちが、森と作り手、使い手を結んでいます。鳥羽山さんはその代表を務め、息の長い活動を優しく引っ張ります。プロジェクトメンバーでもある藤原が、鳥羽山さんの原体験や思いを聞きました。
藤原「『木と暮らしの工房』という屋号が、とても印象的です。木や森と人をつないでいく思いが伝わってきます。出身は静岡県浜松市ですが、北海道とはどんな縁が?」
鳥羽山「自然が多くて、雪があって、遠いところに行きたいと思い、北大に進んだのが最初です。山スキー部に入って年間100日くらい山に登って、勉強は何もしていませんでした。北米のマッキンリー近くの、氷河が広がる6000m級の山に登り、山スキーで下りたこともあります。帰りは200km歩きましたが、生き物のほとんどいない氷河を抜けて見えた緑に、『大地は生きてるんだ』と思えて、木や緑への目線が変わった気がします」
藤原「私もスキー部でしたが、スケールがすごいですね。卒業後は?」
鳥羽山「外資系のコンサルティング会社に入りました。実はその山の頂上に立った前日に兄が亡くなり、就職をどうするか考えたんです。つぶしがきく英語の先生になろうと思って、外資系を選びました」
藤原「そこから木や木工にはどのように?」
鳥羽山「鉄道会社に派遣されて名古屋で暮らしている時、浜松の実家に時々帰っていました。昔からよく行っていた材木屋に、一枚板が売ってたんです。それを見た瞬間、神の啓示のように『これだ』と。ホームセンターでテーブルの作り方を聞いて、一から調べて、初めて自作しました。すると、名古屋の部屋にあった家具がどうでもよく思えて、他の家具は全て処分しました。
藤原「運命の出会いでしたね。良質な木の家具が持つ力に惹かれたんですね」
鳥羽山「木と一生関わっていきたいと思いました。そんな時、木工技術を教えてくれる機関があると学生時代に耳にしたことを思い出しました。北見にある工業技術センターに電話をして、『すぐ来なさい』と。離職者はタダなので、会社を辞めて北見に移りました」
藤原「旭川ではなかったのですね」
鳥羽山「旭川が家具産地というのは、後で知りました。春休みの過ごし方を考えている時、木を生産する現場を知りたくて、十勝地方の林業会社に『タダでいいから働かせてください』と手紙を書いて、住み込みで研修しました。これが森との関わりのきっかけでした」
藤原「どんな林業でしたか?」
鳥羽山「数十年前はハゲ山だった山で、持続的な林業のため『良い木は切らない』という方針でした。代表の方から『森は嘘をつかない』『考え方を森に合わせる』と学びました」
藤原「とても深いですね」
鳥羽山「北見では、土日は木に関する施設や展示を見て回っていました。面白いと思って勉強したのは、大学生の頃にもなかったことです」
藤原「その後に就職ですね」
鳥羽山「東川の隣にある東神楽町の家具メーカーで5年勤めました。椅子の組み立てや仕上げ、特注担当、機械加工と幅広く経験させてもらいました。機械で効率的に作るのも大事ですが、修理もあります。『設備より人だ』と思いました。鉄道会社でも、トラブルがあったら1万本以上の列車のダイヤを手で引き直しますから」
藤原「私はアーケンを立ち上げる前は大工でしたが、今は予め加工された木材が使われるので、手作業で使う道具を研ぐこともなくなりました。『木と暮らしの工房』は家具再生が強みですが、『人の手』を大切にされているからなんですね」
鳥羽山「作る職人はたくさんいるので、お客さんが愛着を持って長く使えるようになる職人になろうと志しました。父は、着物の絵を描く職人でしたが、業界は衰退していきました。その経験から、修理もそうですが、やる人がいなくなってしまう仕事が気になるんです。職人とは、社会や文化の一端を担っているんだなとも思っていました」
藤原「職人としてのスタンスが、森や家具作りにも通じていますね」
鳥羽山「十勝で住み込みで働いていた時、良質な木の量が少なくなっていると気付きました。最初は、木を切るのはダメなことだと思っていましたが、身近な木を適切に切って生活に役立てて、豊かにすることは間違っていないとも分かりました」
藤原「森と人との良い関係ですね」
鳥羽山「『森を大事にしよう』と声高に叫んでも、一斉に伐採する『皆伐』には理由があります。効率が良いし、高いと私も含めて材を買えませんから。ただ、長続きしないので、言葉ではなくて行動で変えていきたいと思っていました」
藤原「そこに『白樺プロジェクト』との出会いがあったのですね」
鳥羽山「初めは、道立の林産試験場の研究者が、蓄積量が多いのに使われていないカンバ類のうち、ほとんどがパルプ材に回されて『役に立たない』とされた白樺の研究を始めたのがきっかけです。私は3年試作を続けて、その後に藤原さんを含めて仲間に声掛けし、2018年からプロジェクトとしてスタートしました」
藤原「旭川北部の江丹別にあるレストラン『Chirai』のカウンターは、みんなで近くの森から切った白樺を使い、鳥羽山さんに作ってもらいました」
藤原「2021年に東川町にオープンしたジャム&カフェ『Tam Jam』も白樺を多用し、集大成になりました」
鳥羽山「森で切るところから始めるなんて、初めてでした。切ってすぐ乾燥させて、反ったり、割れたりしないかと心配でしたが、奇跡的にできました。白樺プロジェクトは全くの手探りですが、職人や作家、デザイナーら多くの協力があって奇跡的にできました。2019年の家具の祭典『旭川デザインウイーク』でも反響は大きかったです」
藤原「プロジェクトに参加して、木に対する考え方が180度変わりました。それまでは『既に加工された木をどう生かすか』でした。それが『どこの木がどうやって材になったのか』を考えるようになりました。家づくりが、森にどう影響するかにも思いを馳せるようになりました。ずっと木を扱ってきたのに、木を知らないことが恥ずかしくなりました」
鳥羽山「いろいろな分野につながりのある藤原さんのおかげで、プロジェクトに広がりが出てきました」
藤原「白樺だからできることは何ですか?」
鳥羽山「数少ない良質な木をどんどん使うことに違和感がありました。『良い物』はできるかもしれませんが、ずっとは続かない。自分が食べるために木を犠牲にするのは本末転倒だと思っていました。その点白樺は、人間の知恵で『良い物』が作れる可能性を感じました。北海道では森で一番身近と言えるし、ライフサイクルが人間に近く、人の手で育てられて、無駄なく使い切れます』
藤原「製材としての価値は低いのに、樹液や籠といった身近なところで重宝されています。白樺で森づくりを研究している北大も協力してくれています。神様がつくってきたようなストーリーがありますね」
鳥羽山「このプロジェクトは、白樺のライフサイクルの50年は続けないといけません。そうでないと、林業者は植えないからです。今売れる、今ブームにする、ではなく、地道に50年後も白樺が使われる仕組みをどう作るかが課題です。白樺の家具がスタンダードになってほしいし、道内の環境教育の素材としても使ってほしいです」
藤原「建築でいえば、木造の建物の木材は、森から始まっている。森で生まれ、作る人をへて、家や店舗ができる。スタートからゴールまでの本質的なストーリーを見せられたら、木に対する価値観も変わる気がします。時間をかけて伝えていきたいです」
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ジャム&カフェ「Tam Jam」
〒071-1403
北海道上川郡東川町西3号北12番地
営業時間:11時~18時
0166-67-2729
定休日:火曜
公式サイト:http://tamjam-higashikawa.com/
『イタリアンレストランChirai(チライ)』
〒071-1173
北海道旭川市江丹別町中央121-1
営業時間:ランチ11時~(ラストオーダー14時)、カフェタイム 14時~15時、ディナー17時(ラストオーダー20時)
定休日:月曜、火曜(月曜が祝日の場合は火曜休み)
電話(0166)76-4747