アーケン特長

住宅会社の特長を
知ることは家づくりに有用です

皆様が住宅会社を選ぶにあたって、その住宅会社の技術や地名度・経営規模などだけではなく、スタッフの人柄や考え方、特長、目指しているものなどがわかると、自分の望む家も実現しやすい、相性の良い住宅会社が見つかりやすくなると思います。

写真:代表取締役 藤原立人

ということで、まず、アーケン株式会社社長・藤原立人の歩みと思いから紹介させていただきます。

室蘭からエジプトへ
~社長・藤原立人の生い立ち~

私(アーケン株式会社社長・藤原立人)は、1972年北海道胆振の室蘭で生まれました。父が新日鉄の社員で、家族は社宅に暮らしていました。

写真:代表の子供の頃

転機は幼稚園の卒園間近の10月にエジプトに引っ越したことでした。独立行政法人国際協力機構(JICA/ジャイカ)が発展途上国への技術支援を行う一環で、父が鉄に関する技術指導を行うために、家族皆でエジプトの首都カイロで2年間暮らすことになったのです。

幼稚園の友達と分かれて初めての海外。エジプトに着いたのは夜中の2時でした。翌朝早速探検に出掛けました。40℃超えの暑さで、いきなり熱射病に。でも湿度が低くカラッとしているし夜は放射冷却現象でむしろ肌寒いので慣れれば過ごしやすい地域です。

ナイル川のほとりで暮らした2年間

写真:カイロでの生活1

父と母、そして私の兄2人と私が暮らした家はナイル川の中州にありました。エリアの半分は公園で、馬術場や飛び込み台付きの大きなプールなどがあり、もう半分は外国人居住区で住居や大使館などがありました。家の向かいには右にベネズエラ大使館、左にインド大使館があり、その裏にナイル川が流れていました。ベネズエラ大使館は、夜に映画をスクリーンで流していました。

エジプトの家は、ブロック造で頻繁にエレベーターが故障しました。家の中では土足で、玄関から入ったらいきなりダイニングでした。左にキッチンのある部屋、奥にリビングがあり、長い廊下の先に3つの部屋がありました。水は煮沸消毒し冷やしてから飲まなきゃ危険なので、水がないときはセブンアップをよく飲んでいました。

公園が遊び場でした。瓦礫の山が至るところにあって、化石を拾って遊びました。基地を作って遊んだりもしました。親からはナイル川の近くでは危ないから絶対に遊ぶなと言われていました。

学校の近くにピラミッドとスフィンクス

写真:カイロでの生活2

日本人学校の近くには有名なギザの3大ピラミッドがありました。古代エジプト王国のファラオ(君主)であるクフ王、カフラー王、メンカウラー王が眠る、紀元前2500年頃に建てられたピラミッドで、世界遺産にも登録されています。スフィンクスがあり、その傍に馬とラクダに乗れるところがあり、砂漠を超えてサッカラの階段ピラミッドに行けるというツアーもありました。母はラクダより乗馬が好きだったので、私も馬に乗ったりしました。

海外生活が人生観にも影響

エジプトは地中海を越えればすぐイタリアやギリシャがあります。旅行好きな母に連れられて、ドイツやフランス、オランダ、オーストリア、そしてケニアやスーダンなどにも行きました。

写真:カイロでの生活3

右の写真はケニアでサルに追いかけられた時の写真です。ケニアの人たちのライフスタイルは、子どもながらもとても印象に残っています。僕ら家族が日本(室蘭)に帰ってまもない1981年に、エジプトのサダド大統領が暗殺されるなど、その後治安は悪化しましたがそれまでは比較的安全な地域でした。

エジプトにいたのは小学校1・2年生の2年間だけでしたが、私の人格形成にも大きな影響があったと思います。外国の文化や生活、人に抵抗感がなくなったこと、そして「生活環境が大きく変化したとしても何とかなる」という人生観も育ったと思います。

私の長兄は国連に勤務し、ウガンダやカンボジア、ニューヨーク、オランダの国連裁判所などあちこちで暮らしています。次兄は和食の調理師で、創作和食レストラン「NOBU」のロンドン店でも働いていたり...。私だけが日本・北海道にいますが、現在、イスラムの方々の道内・旭川観光などのサポートなどに関する活動をしているのもこの時期の経験が影響していると思います。

室蘭→苫小牧→石狩への転校生活

小学校2年制の秋頃、室蘭に戻りました。中1で苫小牧に引っ越し、高校は苫小牧東高校に入学したのですが、両親は石狩市花川に家を建てたので父は単身赴任。家族は石狩へ引っ越しすることになり、私は石狩南高校に編入しました。

幼稚園、小学校、中学校、高校と、入学と卒業を同じ学校で、という経験は一度もありません。転校を重ねたことで、友人づくり、周囲の人の考えなどを感じて対応するような面は発達した気がします。それは家づくりでお客様の要望をしっかり理解することを重視する、現在の仕事の仕方にも影響しています。

石狩市花川に自宅を木の城たいせつで

写真:代表の高校時代1

両親が石狩に自宅を建てた際、家づくりを依頼した木の城たいせつの栗山工場とモデルハウス見学をさせてもらったことを凄く覚えています。いずれ就職することになるわけですが...

写真:代表の高校時代2

小中高、大学、そして社会人の2年間、ずっとサッカーをやっていました。左の写真は、中3の苫小牧選抜(私は中央列左から5番目)、右は苫小牧東中学校時代(私は下段左から2番目)の写真です。

砂漠緑化、農業、スキーに興味を持った大学時代

大学は酪農学園大学です。マンガ「銀の匙」で出てくる学生生活、寮生活に似た環境で過ごしました。酪農学園大学を選んだのは大学受験の際に着いてくれた家庭教師が北大農学部の学生さんで、農業の面白さを教えてくれたのがきっかけです。その影響で、東京農業大学の向後元彦先生の『緑の冒険』という本(岩波書店)を読み、砂漠をマングローブで緑化するという取組に刺激を受けました。

マングローブは海水でも育ち、根に微生物が育ち、微生物を小魚が食べ、小魚を鳥が食べ、鳥の糞が肥料になって植物が増える。生態系を育て砂漠を緑の森に変えていくという...。自分もそういうプロジェクトに関わりたいという思いで酪農学園大学に入り、芝生の研究に関わりました。農業にも興味を持ちました。

写真:代表の大学時代

基礎スキーにも没頭しました。当時スキーを一緒にやっていた仲間に、チーズ作りで有名な「ジャパチーズアサヒカワ」の長尾英次さんもいます。

バイト中に小学生の頃の夢は「大工」だったことを思い出す

スキーをやるために夏場は日糧製パンの夜勤バイトもしました。10時間以上の作業は、慣れてくるとそのことを考えなくても無意識にできるようになります。これまで色々なことに興味を持って取り組んできましたが、無意識の作業を繰り返す中でふと思い出したのです。

小6の時に大工さんになりたいと思っていたことを...。

アメリカ横断ウルトラクイズという番組で、賞品として無人島をもらった大工さんが、ログハウスを建てていたのを見て憧れたのです。子どもの頃からもの作りが好きで、形を想像しながら作るレゴに没頭したり、自然の中で過ごし、創意工夫も必要なキャンプも大好きだったので将来は大工さんになりたいと決意、大学3年の時に、その道を目指して動き出しました。

住宅会社にとびこみで就職活動

就職活動で最初にアプローチしたのは札幌のログハウスメーカーです。日曜日に飛び込みでトベックスに行ってみたらお休み、アウルログホームズは場所が見つけられず、ログハウス21のモデルハウス兼カフェに行ってみました。珈琲を飲みながら従業員さんに「ログハウスの大工になりたい」と話してみたら「ログハウスをやりたいなら大工の技術か設計の技術が必要」とのこと(実はログハウス21の社長さんでした)で、翌週、再び会社を訪ねたところ、札幌より旭川の方が腕の良い大工が多いと言われ、紹介していただいたのが旭川の株式会社菅原組にいた木村親方でした。

木村親方の厳しい指導で大工技術を学ぶ

親方に弟子入りしたいがために菅原組に入社。旭川に引っ越しました。木村親方は技術が凄く、昔ながらの職人気質の親方でした。大工の昼食は、女将さんがお弁当を造ってくれて、飯の心配なしに仕事に没頭できました。

写真:代表の大工時代

旭川の建築会社で大工として働きながら、3人の子どもの父にもなりました。

あとで分かったことですが、木村親方はログハウスより木造建築、施設や住宅などを好み、墨付け、切り込みなど大工の技術の追求を大事にして、1棟の建物を2年かかりで建てるような難度の高い建物を多く受注していました。

木村親方はとにかく厳しく、妥協を許さない人でした。工場で木材を事前に加工するプレカットではなく、木の曲がりを目利きし、木の性質を踏まえて家を建てろと指導してくれました。また、図面から設計者の思いを読み取るために1本の線も見逃すな、1本の線の意図を汲み取れともよく言われました。当時は十分には理解できませんでしたが、設計者でもある今は、図面の線一本にも全て意図があるという意味がわかります。

7年木村親方の弟子として大工をしました。親方には以前から、いろんなところで仕事をしないと技術が進歩しないぞ、と言われていたので1年間お礼奉公で働き、8年目に親方の元を離れました。自分で墨付けや切り込みもやらせてもらい、自分が棟梁として家を2棟任せて頂きました。

木の城たいせつに入社

実家を設計施工した木の城たいせつに大工として入社しました。無垢の木材、自然塗料、布クロスなど素材のこだわり、空気が壁の中を走る仕組みなどは大変勉強になりました。一方、施工面では大工の技量が必要になるような住宅施工法ではありませんでしたので、施工面で学ぶ、という機会ではありませんでした。大工をしながら2級建築士の資格を取得しました。

大工を3年務めたあと、異動で現場管理、そして営業に配属されました。大工以外の仕事を経験できたという面では良かったのですが、営業では、栗山の工場に毎週見込み客を連れて行くという営業ノルマがあり、営業マンによっては要領よくこなす人もいましたが私はその営業手法に疑問も感じました。結果4年目で退職しました。

旭川の輸入住宅会社に転職

その後、紆余曲折あって旭川の輸入住宅を得意とする住宅会社に営業マン兼現場管理担当者として転職しました。その会社のホームページを見る限り、若い人がいっぱいいて生き生きしている会社に見えたのです。

大工時代は、大工という仕事に誇りもあり、営業マンになりたいという気持ちはありませんでしたが、実際やってみると、お客様の要望を直接伺って実現させていくプロセスに面白さを感じました。しかも大工の経験があるので、お客様が「この場所に収納を付けたい」といった様々な要望があったときに、自分の判断で施工が可能か即答できる場面がたくさんありました。

質の高い輸入住宅を提供できる喜び

その住宅会社は、私が入社した当時、旭川の拠点が人事異動や退職で人材不足になっていました。そこで私は入社直後から、私が3カ月で住宅を1棟でも受注しなければ支店を閉鎖するというギリギリの状況に直面しました。モデルハウスはあったものの、営業マニュアルもなく、私自身が営業経験も浅いなかで、わからないことばかり、どのように営業すれば良いのか...。必死の思いで他の支店に電話して、不動産取引のやり方などを教わりました。

その住宅会社は、北米・北欧・南欧など世界の輸入住宅、そして日本の純粋な和風住宅なども含めて手がける住宅会社でした。一時の流行に左右されない普遍的で美しい住宅デザイン、丁寧なプランニングや高い住宅性能、イミテーションの建材ではなく無垢材など本物の素材を使う、100年の耐久性(センチュリーハウス)といったこだわりがあったので、住宅の平均坪単価は他社よりも高く、約80万円ほどでした。しかし、そういう住宅をお求めになる方もいらっしゃいます。多くのお客様の質の高い家づくりに関われたことは私にとって、大変大きな経験になりました。

経験と挑戦心でアーケンを起業

とはいえ、坪80万円以上という住宅価格はなかなかの高額です。大工、設計、現場管理、お客様との打合せ経験もたくさんある私としては、もし自分が住宅会社を立ち上げたら、もっとお客様の期待に添える家が建てられるのではないかと思ったのです。

具体的には、住宅価格自体を下げられると思いました。大きな住宅会社は、組織の運営や営業経費などが住宅価格に乗せられます。しかしそのコストは住宅のクオリティには関係のない部分なので、小さな住宅会社なら、住宅の質は変えずに価格は下げられます。

また、住宅会社としてのコンセプトを重視して、その会社のこだわりの家を提供するというよりも、お客様が、例えば「2階の床は無垢材でなくていい」「この建具は輸入材ではなく国産品を使っても良い」というようなお考えであれば、そこは臨機応変に対応し、実用度や意匠性は遜色なく、でも価格を抑えて、総額を安くしたり、重視する点に予算を回すなどの工夫もできると考えました。

また「顔の見える住宅施工」のページで詳しく書きますが、ハウスメーカーの家づくりは合理化を重視しすぎるあまり、大工さんと、家を建てるオーナー様が面識がなく、大工さんもお客様のためにという意識が薄いという点も、起業すれば解決できると考えました。

そう考えて旭川で2014年の春に住宅会社「アーケン」を起業したのです。

優れた人材と安定経営の仕組み

私は大工・設計・現場管理・営業のどれもできますし、社内にも設計や現場管理に長けた経験豊富な人材がいます。また長年の経験や人脈を活かし、腕の良い大工さんや専門職の職人さん、プランニング力の高い建築家、提案力やセンスに優れるコーディネーター、食や趣味などライフスタイル提案のできるプロなど、多くの仲間がいますので、私以外の人材との連携も家づくりに活かせています。

また、起業当初は住宅受注などが安定しない面もありますが、資金繰りなどの心配をしなくても良いように、ハウス・デポ・ジャパンが運営する住宅完成保証を活用しました。これは、お客様の住宅建設費はアーケンではなくハウス・デポ・ジャパンに支払われ、工事が進む度に出来高で、当社や建材店、専門工事会社などに支払いがされるという仕組みです。お客様からお預かりしたお金が、経営不振に陥った住宅会社などによって、別の用途に使われるといったリスクを防げる仕組みなので、当社のように経営規模や地名度という意味では大きくない住宅会社でも、お客様は安心して当社に家づくりを任せて頂けました。

2014年のアーケン創業以来、新築住宅と住宅リフォーム、そして店舗などの設計施工をいくつも担当させていただきました。エリアとしては旭川市、東川町、東神楽町など札幌近郊が多く、また道北では浜頓別町や中頓別町など200キロ近く離れたエリアでも住宅施工をさせていただいております。

まとめ

大工としての経験は、住宅がどのように出来ているか、何が可能で何ができないか、そして根幹である住宅の基本性能を高めるために、施工レベル・精度の重要性を理解し、現場で適切に管理し、質の高い家を実現することに活かされています。

子どもの頃に転校を繰り返す環境下で友人づくりを頑張り、コミュニケーション能力が鍛えられたことは、お客様の要望をしっかり理解するためのヒアリング力となって活かされています。

ハウスメーカーや高級住宅を得意とする住宅会社で営業や設計を担当した経験は、デザインや間取り、建材などのコーディネート力となって、お客様の望むライフスタイルや好みのデザインを実現させるために活かされています。

ライフスタイルを重視する家づくり

海外生活での経験は、北海道・旭川圏の移住を実現させたい方の心配毎、イスラム圏の方々が北海道や旭川に旅行される際に、食事の面などで大変苦労されていることなどの理解・共感にもつながり、移住・2地域居住・観光・民泊などの面での活動にも繋がっています。

サッカーやスキー、アウトドアスポーツなどの経験は、同じくスポーツや趣味を楽しんでおられるお客様のライフスタイルを理解し、住まいづくりに活かす提案につながっています。

酪農学園大学での経験は、自然や農業、食の大切への理解につながり、「食から創る家づくり」プロジェクトとして、食を大切にできるキッチンや庭、食品庫などの提案を始め、農家住宅、飲食店などのプランづくりにも活かされています。

アーケンの特長
〜そして現在〜

評判とご縁を大切に

大変ありがたいことに、アーケン株式会社は、過去に家を建てて頂いたお施主様や、食や移住などの活動を通じて出会った方々などからの紹介もあって、住宅会社としての当社のお仕事は順調に進んでいます。今後もお客様に喜んで頂き、その評判とご縁で住宅会社を続けていきたいと思っています。

土地探しや予算の段階からの打合せも大歓迎

大きなハウスメーカーではありませんので、同時には何十棟も家づくりを行うことはできません。できれば、家を建てたい、と思われた初期の段階ででも、まずはご相談いただければ、どのような家が実現できるか、そして土地探しや予算の面も含めて、大枠の方向性を一緒に考えることができますし、プランニングや施工のスケジュールもゆとりをもって組み立てることができると思います。

架空の家族を想定するモデルハウスはありませんが・・・

お客様のライフスタイルを前提に家を建てる注文住宅を進めておりますので、架空の家族を想定したようなモデルハウスはありません。お客様のご自宅を完成直後にお借りして開催する完成現場見学会や、このホームページの事例記事で当社の住まいづくりは、お客様の要望を元に1棟1棟心を込めてプランニングし、建てているということを感じて頂ければと思っております。

大工経験で既存住宅の問題もわかる!リフォームも得意

新築だけでなく、リフォームも積極的に取り組んでいます。大工出身なので、住宅を見せて頂くと、どこに問題が生じているか、どこを直せば、費用を抑えつつ効果的なリフォームができるかがわかります。また、設計者でもあり、デザイン性に優れた社内外の設計者の力も借りながら、デザイン性に特化したリフォームも可能です。レストランや店舗兼住宅などの改装なども得意にしています。

工法・断熱仕様からお客様と一緒に決めます

住宅工法に関しては、ツーバイフォー工法もできますが、設計の自由度の高い在来工法をメインにしています。住宅の断熱性能は、積雪寒冷地の旭川の厳しい環境も踏まえて、省エネで暖かい住宅を前提にご提案させていただきます。お客様の要望を第1に考える注文住宅なので、断熱仕様・性能面も含めて、お客様とご相談させていただいた上で決めていきます。

顔の見える住宅施工

会社概要

社名 アーケン株式会社
住所

〒078-8236 北海道旭川市豊岡6条4丁目4-15

TEL 0166-56-3734
FAX 0166-56-2890
対応エリア 旭川圏・道北
設立 2014年
資本金 1,300,000円
代表取締役 藤原立人(昭和47年生まれ)
業務内容 一般住宅新築、リフォーム、店舗設計施工など